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袋町小学校平和資料館で学ぼう
 この建物は、袋町小学校平和資料館です。
平成15年4月12日に開館しました。

Fukuromachi Elementary School Peace Museum opened April 12, 2003.

 この資料館が全国に知られるようになったのは、平成11年に「伝言板」が見つかったからです。

The Museum became known nationally with the discovery of the “message board” in 1999.

●「伝言板」とは何でしょうか?

  What is the “message board”?

●黒いかべに、白い文字が書かれています。
 いつ、だれが書いたのでしょうか?

 White letters on a black wall.

 Who wrote them? And when?

 黒いかべは、校舎の中が原爆で焼けたため、ススで黒くなったのです。
その黒いかべを黒板がわりにして、教え子や家族をさがすため、チョークで伝言を書き残したのです。

The wall, which was blackened with soot in the blast, was used as a blackboard. Where messages of those looking for family members or students were left.

●なぜ今まで見つからなかったのでしょうか?
  Why wasn't it found for so long?
 この「伝言板」のある西校舎は、袋町小学校の校舎のうち、たった一つの鉄筋コンクリートづくりの建物だったのです。
そのため、木造だった講堂や北校舎は、原爆の爆風でふき倒され、高熱で焼けてしまいましたが、西校舎は原爆投下後も残ったのです。
 学校は、昭和21年6月には授業が再開されたので、その時に西校舎の黒いかべはぬりなおされ、「伝言」はその下にかくされてしまったのです。
●マルセル・ジュノー博士
 「ジュノー博士の記念碑」が平和公園にありますね。
 袋町小学校平和資料館となりにも、「ジュノー広場」という公開空き地があります。

ジュノー博士は何をした人でしょうか?
 ジュノー博士はスイスの人で、赤十字国際委員会のメンバーの一人でした。
1945年9月2日、他の代表委員から「広島は大変なことになっている。」という報告を受けたジュノー博士は、当時日本を占領していて連合軍と何度も交渉し、15トンもの医薬品を広島に運び、被爆した人たちを助ける仕事を一生懸命にされました。そんなジュノー博士は、「ひろしまの恩人」といわれています。

 ジュノー博士は、袋町小学校の救護所にも来られ、ここで治療に当たられているお医者の嘉屋文子先生や太田萩枝先生とお会いになって、一緒に治療されたとも伝えられています。
 その後、市内の救護所をまわり、被爆した人たちを治療されました。